
コスプレは時々ヒットするものがあります。これもそのひとつ。
独特の空気感と自然な表情がいい。
フォロワーが数十人くらいであれば、お友達の雑談サークルの世界だ。フォロワーはすべて、自分が何者か知っている。何をいってもかまわない。そいつらは、こっちが間違っていれば耳の痛いことも言ってくれて、それでも「あ、まちがえた」ですむ。
でもちょっと気の利いたツイートでもして、フォロワーが百人を突破したあたりで、だんだん様相が変わってくる。自分のことをよく知らない人もフォロワー で入ってくる。内輪の冗談も通用しない場面が増えてくる。もはや、ツイッターは仲良しコミュニティの道具ではなくなる。冗談の通じない人や、揚げ足取り人 もちらほら出てくる。一方で、こちらも知らない人に恥ずかしい指摘を受けて、むかつく思いをするケースも増える。でも、ここらは一応、いろんな意見のやり とりもあり、話をするのは自分と多少共通点はある人で、生産的な議論もしばしば展開される。
が、フォロワーが千人突破から二万人あたりで、たぶんツイッターの魔境が生じる。自分をまったく知らない人もフォロワーに入る。いや、そういう人が圧倒 的多数になり、かつての仲良しコミュニティの人々はほとんどいなくなる。ツイッター上で行われる発言は公式発言となり、だれかとの議論も(本来なら)人の 目を気にしたものとなる。さらに、フォロワーの中でも、自分の信者とも言える人、好意的な人、ただの野次馬から、耳の痛いことを言う人まで出てきて、その 中から自分の好きなサブグループを拾い出すことが可能になる。そしてここで、たいがいの人は、自分の好きな(つまり自分に何でも賛同してくれたり、自分が 賛同している意見を常に言う)人だけを選ぶ方向に走るのだ。それも無意識のうちに。
人が変わり始めるのはそのときだ。そうなったとき、だれかが自分のまちがいを適切に指摘してくれた場合ですら、それを否定して「あなたは正しい」と言っ てくれる人が出てくる。ぼくの見る限り、人が豹変してしまうのはそのあたり。そうなったとき、自分が耳を傾けるコミュニティは自分自身の鏡像となってい る。それなのに自分は、多くの人のコメントをもらい、外部からの意見を聞いているようなつもりになり……そしてそうなったら、人はどんな方向にでも暴走で きるようになってしまうのだ。
さらに進んでフォロワーが数万人単位になってくると、おそらくもうメディアとしての性質は完全に変わる。そこでのツイートは、もうただのアナウンスとな る。ツイッターは直接コミュニケーションで云々と言われたけれど、レディ・ガガやオバマ大統領が自分のフォロワーたちと双方向のコミュニケーションしてい るなんて、まさか思っていないでしょう?
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アルコムワールド コラム 2011/05 (via rpm99) 2011-07-16 (via gkojax-text) |